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天草西エリア
「海にうかぶ博物館あまくさ」のおすすめスポット
西平椿公園の長崎変成岩類(にしびらつばきこうえんのながさきへんせいがんるい)
場所:天草市天草町
【長崎変成岩類】
【長崎変成岩類を包むアコウの木(西平椿公園)】
【大ヶ瀬】
長崎変成岩類は天草市天草町の大江地区から高浜地区にかけて分布しており、西平椿公園ではたくさんの露頭を見ることができます。変成岩とは元々あった岩石が、地中の圧力や熱により別の種類の鉱物から成る岩石に置き換わったものです。天草町の長崎変成岩類は約8,000万年前に変成したことが分かっています。これは天草の中でも古い地層で、天草上島東海岸の花こう岩類などと同様に、天草諸島の基盤の一つになっていると考えられています。西平椿公園から望むことができる大ヶ瀬周辺は、昭和45年に海の景観を維持することを目的として、天草の他の2地域(富岡海域公園・牛深海域公園)とともに天草海域公園に指定されました。
軍ヶ浦海岸恐竜化石発見地(いくさがうらかいがんきょうりゅうかせきはっけんち)
場所:天草市天草町
約7,500万年前の植物食恐竜の足跡と歯の化石が、貝類の化石とともに発見されています。これらの化石が発見された天草西海岸の姫浦層群は、当時陸上に近い環境であったことが分かります。現地保存のため詳細な場所は非公表ですが、今後も重要な発見が期待できる場所です。
妙見浦(みょうけんうら)
場所:天草市天草町
天草下島の西海岸は約7,500万年前に堆積した姫浦層群などの地層が隆起し、波の侵食によってできた高い崖が連続しています。その見事な景観から、史跡名勝天然記念物に指定されています。ゾウが海に向かって歩いているように見える「ゾウ岩」の内部は波や風によって自然に削られたもので、トンネルのようになっており鍾乳石も垂れています。ダイビングスポットとしても人気の場所です。
鬼海ヶ浦の地層と景観(きかいがうらのちそうとけいかん)
場所:天草市天草町
【左側が姫浦層群、右側が白岳層】
鬼海ヶ浦展望所の目前にある巨大な岩や地面は、約7,500万年前に堆積した姫浦層群で、右側に約5,000万年前の白岳層が広がっています。白岳層の地層からはスナモグリという甲殻類の化石が発見されました。
下田温泉(しもだおんせん)
場所:天草市天草町
【無料の足湯(下田温泉ふれあい館ぷらっと前)】
下田温泉は250メートルの地下から汲み上げられている鑿泉(さくせん)です。大正時代までは自然の湧出もありました。現在の天草には活火山はないので、下田温泉は火山とは関係ない非火山性温泉になります。地下深くなるほど高温になる岩盤の影響で地下水が温められています。比較的高い温度を保ったまま温泉が湧き上がってくるのは、この地域の断層や背斜(はいしゃ:地層が山のように曲がっている構造のこと)と呼ばれる地形が関係していると考えられています。
おっぱい岩(おっぱいいわ)
場所:天草郡苓北町坂瀬川
【おっぱい岩】
【おっぱい岩と同じようにしてできた岩】
直径2メートルの岩で、女性の乳房の形に似ていることから「おっぱい岩」と呼ばれています。その成因は詳しくは判明していませんが、約3,800万年前にはすでに現在の形が出来上がっていたと考えられています。当時の海底の泥の中で、バクテリアの働きによって円錐形が形成されたようです。おっぱい岩の部分は周りの地層よりも硬かったので、海底が地上に現れた後、風化侵食で周囲の地層が削られ、おっぱい岩だけが残りました。同じようにしてできた岩を、この海岸ではいくつも見ることができます。
富岡半島の砂州と砂嘴(とみおかはんとうのさすとさし)
場所:天草郡苓北町富岡
【富岡半島の砂州】
【富岡半島の砂嘴】
富岡城跡がある半島は、元々は天草下島から離れた離島でした。海流の影響で約7,000年前から徐々に砂が溜まり、砂州となって、現在のような半島の形になりました。富岡半島ができると海流が変わり、今度は半島から突き出た部分に砂が溜まりました。これはまるで鳥のくちばしのようなので、砂嘴とも呼ばれます。この砂嘴には県指定天然記念物のハマジンチョウの群落地があります。この2つの地形は富岡ビジターセンター(富岡城跡)から観察することができます。
白岩崎(しろいわざき)
場所:天草郡苓北町富岡
白岩崎は富岡海水浴場から延びる遊歩道を歩いて5分ほどのところにある、真っ白な流紋岩が露出している場所です。この流紋岩は1,900~1,600万年前の日本列島が形成される時期に、地層の割れ目に沿って地下から湧き上がってきたマグマが冷え固まってできたもので、苓北町と天草市天草町に分布しています。白岩崎周辺を含む富岡半島の2か所の地域は、昭和45年に海の景観を維持することを目的として、天草の他の2地域(天草海域公園・牛深海域公園)とともに富岡海域公園に指定されました。
天草陶石採石跡の露頭(あまくさとうせきさいせきあとのろとう)
場所:天草郡苓北町内田
【採石跡の露頭】
【天草陶石】
天草西海岸に分布する流紋岩は、江戸時代から「天草陶石」として採石されてきました。天草陶石の最大の特徴は、他の地域の流紋岩と比べて真っ白いことです。これは鉄分の含有量が極めて少ないためですが、なぜ鉄分が少ないのかは解明できていません。天草陶石は陶磁器の原料としても質が高く、天草はもとより佐賀県の有田焼などでも使用されています。
志岐炭鉱跡の台座(しきたんこうあとのだいざ)
場所:天草郡苓北町志岐
【安全祈願の鐘の台座】
【石炭】
約4,500万年前は熱帯の気候でたくさんの植物が育ちました。この当時天草は浅い海でしたが、浅い海で砂が溜まる一方で、陸地に近い内湾では大量の植物の遺骸が堆積しました。これが地中で熟成されたものが石炭の層となりました。天草下島で採れる石炭は発熱量が大きく燃焼時の煙や臭いが少ないことから、「天草無煙炭」と呼ばれ重宝されました。志岐炭鉱は天草で最後まで操業していた炭鉱で、昭和50年まで操業していました。現在は入門場にあった安全祈願の鐘の台座が残されています。
牛深炭鉱烏帽子坑跡と砥石層の露頭(うしぶかたんこうえぼしこうあととといしそうのろとう)
場所:天草市牛深町
天草では江戸時代後期に発見され、明治になって本格的に炭鉱操業が始まりました。牛深炭鉱の烏帽子坑は明治30年に操業開始しましたが、海中を採掘していた炭鉱で湧水に悩まされ、数年で閉鎖されました。現在は海中に向かう坑口の遺構を見ることができます。この遺構の周りには、石炭の地層と同時期に堆積した砥石層の砂岩が露出しています。
砥石層の潮汐堆積物(といしそうのちょうせきたいせきぶつ)
場所:天草市牛深町
潮汐堆積物とは潮の満ち引きによって運ばれた砂が海底に溜まった地層のことです。天草市牛深町の小森海岸で見られる縞模様の岩肌は、約4,500万年前以降に溜まった砂が固い地層になりました。潮汐堆積物がきれいに保存さることは大変珍しく、この縞模様から、当時の一日の潮の満ち引きや、ひと月の潮汐のリズムを読み解くことができます。
遠見山化石層(とおみやまかせきそう)
場所:天草市牛深町
この地層はうしぶか公園日本庭園内の一角で観察することができます。約4,700万年前の浅い海で、ゆっくりと砂が堆積する環境だったので、たくさんの貝が生息していました。この化石の密集層を露頭で観察できる所は非常に限られており、うしぶか公園は数少ない場所の一つとなっています。
権現山玄武岩(ごんげんやまげんぶがん)
場所:天草市久玉町・天草市魚貫町
牛深地域の権現山の山頂付近に、約700万年前の玄武岩が見られます。玄武岩とはマグマが冷え固まってできた岩石です。山頂部の赤紫色の土壌は玄武岩が風化してできました。この玄武岩は陸上で流れた痕跡があります。このことから、この時代天草下島の一部は陸であったことがうかがえます。
獅子吼岬と牛深海域公園(ししぼえみさきとうしぶかかいいきこうえん)
場所:天草市牛深町
【獅子吼岬】
【牛深海域公園】
法ヶ島の獅子吼岬は、獅子が吠えているように見えることからその名がつきました。この島は約300万年前に鹿児島県長島の噴火活動で噴出した火山砕屑物(火山灰や石など)からできており、風化侵食によって現在のような形になりました。法ヶ島周辺を含む牛深地区の9か所が、昭和45年に海の景観を維持することを目的として、天草の他の2地域(天草海域公園・富岡海域公園)とともに牛深海域公園に指定されました。これらの景観は牛深港を発着する遊覧船(グラスボート)で楽しむことができます。