地図はページ下部にあります。

祇園橋(ぎおんばし)
場所:天草市船之尾町・中央新町
ぎおんばし
1832年に町山口川に架けられた、長さ28.6メートルの石橋です。石材には下浦石が使用され、下浦の石工たちによって建造されました。45本の石柱に支えられており、多脚式の石橋としては全国的にも最大規模のものです。上流側の石柱は斜めに設置され、大雨などの際の濁流にも耐えることができる構造となっています。町山口川でも硬い岩が露出している場所であり、橋を建てるのに最適であったと考えられます。
現在は安全上の理由から通行できません。見学の際は、隣の祇園橋公園からご覧ください。
※【「祇」園橋】の本来の表記は「ネ」+「氏」

下浦石の露頭(しもうらいしのろとう)
場所:天草市下浦町
しもうらいしの露頭
下浦石は約4,500万年前に浅い海に溜まった砂の層が、長い年月を経て固まり砂岩となったものです。下浦地域では江戸時代から、特に良質な砂岩が「下浦石」というブランドで採石され、地元の石工たちによって石橋や鳥居が建造されました。また、下浦石は石工の技術とともに九州各地に広がっていきました。長崎市のオランダ坂やグラバー園にも、下浦石が使われています。現在おすすめスポットとして紹介している露頭は、かつて採石場だった所です。

天附の海緑石砂岩(あまつけのかいりょくせきさがん)
場所:天草市新和町
あまつけのかいしょくせき砂岩
天草市新和町の天附では、ほんのり緑色をした砂岩を見ることができます。緑色をしているのは、海緑石という鉱物を多く含むためです。下浦石ができた地層が堆積した時代よりも後の、約4,000~3,800万年前にできた地層です。海緑石(かいりょくせき)はゆっくりと堆積することから、この時代は浅かった海が徐々に深くなっていったことがわかります。天草下島の西海岸では、石炭の地層とセットで見つかることが多いため、炭鉱産業が盛んな頃は石炭を探すための目安として注目されていました。

御領凝灰岩の風化地形と石仏(ごりょうぎょうかいがんのふうかちけいとせきぶつ)
場所:天草市五和町
おんのじょう公園のごりょうぎょうかいがん
【くぼみに安置された地蔵】
鬼の城公園のとなりに、御領凝灰岩の横壁にくぼみが出来た地形があります。凝灰岩とは火山活動による火山灰などが溜まってできた岩石のことです。ここの御領凝灰岩は約260万年前に堆積しましたが、どこの火山が噴火した時の堆積物かは分かっていません。くぼみは、岩のやわらかい部分が自然と削られたことにより出来ました。地元ではこれを大蛇が通った跡として、信仰の対象としてきました。

東禅寺の灰石露頭(とうぜんじのはいいしろとう)
場所:天草市五和町
とうぜんじのはいいし露頭
約9万年前に阿蘇山が4回目の大規模な噴火を起こしました。この噴火での火砕流は九州全土を覆ったとされ、天草でもその痕跡を確認することができます。五和町で溜まった火砕流の層は5メートルほどの厚さとなり、冷え固まって石となりました。これを灰石(はいいし)と言います。灰石はやわらかく加工しやすいため、九州各地で古くから利用されてきました。五和町の東禅寺付近では、灰石の露頭を観察することができます。五和町では「御領石」という石材名で採石され、石垣などに使われました。

ミナミハンドウイルカの生息海域(みなみはんどういるかのせいそくかいいき)
場所:天草市五和町・天草郡苓北町の沖
ミナミハンドウイルカの生息海域
天草下島と島原半島の間にある早崎瀬戸には、約200頭のミナミハンドウイルカが定住しています。これは他で見られる群れと比べても大きな群れになりますが、天草に定住している理由はよく分かっていません。餌や海底地形が要因になっていると考えられていますが、少なくともこの付近がイルカ達にとっては住みやすい環境のようです。今後はイルカと共存できる環境づくりが重要になっていきます。イルカウォッチングは天草でも人気の観光です。道の駅「天草市イルカセンター」でイルカウォッチングを申し込むことができます。五和町の通詞島にある五和歴史民俗資料館では、イルカやクジラの標本展示を行っています。